若旦那武内こと、宮島観光アドバイザーのともちんです。
今日のブログは、宮島 嚴島神社 最古の参拝ルートを歩く!早朝ウォーキングを紹介しています。その昔、嚴島神社への参拝は船から行われていました。今観光のお客様が歩かれている嚴島神社への海沿いの道は、昔は海だったと言われています。
大正時代の古い写真を見ても船が沢山着いています。
通常の観光では、中々体験できない参拝ルートをお客様とスタッフが一緒に巡る。観光知識が豊富なスタッフが宮島の歴史や見所を色々と説明しながら歩きますので、宮島の歴史の勉強にもなりますよ。次回開催は、また錦水館と錦水別荘のFacebookページで告知しますので、是非チェックしてみて下さい。
長浜神社は、嚴島神社へ参拝する前に、こちらの神社を参拝して向かったと言われております。海上安全など海に関する守り神が祀られています。ここをスタートして、早朝ウォーキングがスタートします。
長浜神社から山道へ続く道を進むと、少し細道を歩いた場所に行者堂があります。宮島への往来するのに海を渡たらなければなりませんから、安全を願う石碑が建てられています。
女人坂には、「乳地像」や女性を模ったと思われる何体かの古い石仏があり、いかにも女性を思わせるところ、長い歴史が感じられる、なかなか趣のある坂道です。昔、多くの女性たちが、母乳がたくさん出るようにと乳地蔵へ参拝するためにこの坂道を通ったと言われています。
伊予の武士の家に生まれ、のちに一家は広島城下に移り米屋を営んでいた誓真さんは、宮島に渡り、光明院住職の元で修行し僧になりました。誓真さんは「宮島の恩人」と呼ばれており、生活が苦しい島民のために、宮島に10カ所井戸を掘ったり、神社へ参拝する方へのお土産に杓子の作り方を教え、生活を豊かにする指導をしたり、宮島にとっては大切な方です。宮島の高台には、誓真さんの功績を称えた石碑が建てられています。
さあ、最後は、五重塔と千畳閣で、最古の参拝ルートは終了です。朱色の五重塔の近くにある千畳閣は別名(豊国神社)と言われています。なぜ千畳?という名前が付けられたかと言うと、畳約1,000枚分敷ける程の広さがあると言われており実際は857枚程の広さがあると言われています。すぐ近くには、嚴島神社があります。
いかがでしたでしょうか?宮島 嚴島神社 最古の参拝ルートを歩く!早朝ウォーキング。通常の観光では気づかない宮島の自然や歴史をスタッフと共に歩く・・・より宮島の事を知るきっかけにもなりますし、朝に歩くので気持ちが良いです。また、定期的に開催致しますので、是非、錦水館と錦水別荘のFacebookページをチェックして下さい(^^)/
案内している様子は、少し動画でお伝えしておきます♪楽しい宮島観光にきっとなりますよ。それでは、また別のブログで、ともちんでした。