どうも、若旦那 武内こと、宮島観光アドバイザーのともちんです。
今日のブログは、宮島のマイナスイオンたっぷりの大元公園を散策というテーマで、宮島のお散歩スポットを紹介しています。いつもと違った宮島観光を紹介しています。是非、あなたの宮島観光の参考になれば嬉しいです。
宮島の西方面、嚴島神社の出口からさらに、水族館方面に歩き、水族館の入り口前の通りを西に進むと大元公園に到着します。
大元公園の入り口には、大元神社があります。大元神社の創建は593年で、再創建は1523年です。ご祭神は、保食神、佐伯鞍職、国之常立神、大山祇神で、国土の安泰、食あたり、水難・遭難のご加護、一族繁栄などのご利益があると伝えられています。大元公園の入り口の近くにございますので、是非行かれてみてください。
大元公園は、海岸線の近くにモミの大木があり、森の香りが広がり歩いていてマイナスイオンを感じる場所です。春は桜の花も咲いて、春の大元公園の桜の風景は「厳島八景」のひとつにも選ばれています。目の前に広がる自然の風景は歩いているだけでも気持ちが良いです。公園内には野生の鹿がおり、まるで「もののけ姫」の世界のようです。公園内には、モミの大木がありその大きさや雰囲気に引き込まれます。大元公園内にある弥山へ続く山道。たくさんの木々や大岩が目の前に広がります。
宮島の大元公園内にある「血佛(ちぼとけ)」と記された石塔があります。
近くの看板には、こう書かれています!
「毛利元就の巧みな謀略にかかり、二万余の大軍をこの宮島に進めた陶晴賢は、弘治元年十月一日未明、わずか三千あまりの毛利軍の奇襲作戦にあって忽ち総崩れとなった。晴賢は三浦房清、伊香賀民部らと共に、この大元で陣を立て直そうとした。追って来た小早川隆景は、横手の谷間より羽仁越前守に攻めたてられ一時危うくみえたが、そこに吉川元春の援軍が到着し、晴賢は、乗る舟もなく僅かの家来と共に西の大江浦へと落ちていった。
この石塔は墓ではなく明暦四年(1685)に建てられた供養塔で、合戦の後永らく陶方の血が流れたと伝えられるため、土地の人はこれを、「血佛」(*ちぼとけ)と呼んでいる。」なお、この少し下に「血佛池」という小さな水のかれた枯れた池がある。
いかがでしたでしょうか?
今日は、宮島のマイナスイオンたっぷりの大元公園を散策というテーマで、あまり宮島では知られてないスポットを紹介しました。是非、今回のブログを参考に大元公園を散策してはどうでしょうか?それでは、また別のブログで、ともちんでした。