宮島観光情報

宮島の厳島神社の魅力再発見!【感謝!ブログ100回記念】

更新日 2014.03.04
目次

 

こんにちは!

宮島観光アドバイザーのともちんです。

 

早いもので、昨年の10月からブログの更新を続けて、

今回の投稿で100記事目となります♪

 

本当に、いつもご覧頂いている方々へ

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

最初は、書くネタはあるのか?続くのか?

不安もありましたが、宮島島内を自ら観光して新たに

宮島の魅力を再発見した事や、色々なお店に行ったりと、

自分が体験した事をブログに投稿していきました。

 

またある時は、お客様の声を参考に、観光の不安な点や、

行ってみたい観光スポットの情報を編集したりと、

記事のネタは気づけば、色々と転がっているんだなと思いました。

やはり一番は、宮島の魅力や観光の情報を配信する事で、

宮島ってこんなに魅力があったんだ!宮島に行きたい!

 

観光の悩みが解消できた!とブログを通じて、

思い出づくりのサポートが出来たら、嬉しいです。

とういう事で、今回は宮島の一番の魅力「厳島神社」の

魅力をブログでお伝え致します。

 

毎年400万人以上のお客様が宮島にお越しになられる中、

約200万人以上のお客様は、厳島神社を観光していると

統計が出ています♪

 

海に浮かぶ美しい朱の社殿は、とても美しく神秘的です。

是非、宮島の観光には外せない厳島神社の観光を、

お楽しみ下さいませ。

 

<厳島神社見取り図>

厳島神社見取り図

 

厳島神社の魅力が伝わるYouTube動画はこちらをご参考下さい!

仲良し二人の宮島女子旅 まなみ&なみかの巻

http://www.youtube.com/watch?v=D7KDJhFWsjM

 

◆廻廊(かいろう)<<国宝>>

厳島神社の廻廊(かいろう)は、東側廻廊は47間(約122m)、入口は、切妻造り、

屋根は、檜皮葺(ひわだぶぎ)で、棟には棟瓦が載せてあります。

 

西廻廊は、61間(約154m)あり、西の端(出口)は、唐破風造り(かわはふづくり)

になっています。昔は、西側が入口であったことがうかがえます。

床板は、1間に8枚敷いてあり、釘は使っていません。

 

床板との間に隙間があり、高潮の時に下から押しあがってくる海水の圧力を弱める

役割を果たしています。

 

また床は二枚重になっていて、本来の床板は下にあるほうで、上に敷いてあるのは

養生板(ようじょういた)といい、参拝者が土足で歩いても良いようになっています。

昔はクツの下にわらじを履いて昇殿していました。

 

廻廊の釘灯籠は、毛利氏が鋳鉄製(ちゅうてつせい)のものを寄進したのが

始まりといわれています。

現在のものは、大正時代に奉納されたもので青銅製です。

 

厳島神社 正面

 

◆客神社(まろうどじんじゃ)<<国宝:平安時代>>

御本社と同様に、本殿・幣殿・祓殿からなり、厳島神社の祭典は、

この客神社から始まります。

 

天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・活津彦根命(いくつひこねのみこと)

天穂日命(あめのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)

熊野樟日命(くまのくすびのみこと)の5柱の男神が祀られています。

 

摂社の中でも一番大きく、厳島神社の祭事のおりには、一番先に神職が

お参りいたします。天忍穂耳命は、天照大神様の長子で、農業の神様です。

天穂日命は、天照大神様のお子様で、農業の神様です。

 

天津彦根命は、日の神・雨の神・風の神・火難除けの神様として崇敬されて

います。

祓殿(はらいでん)正面の海側の波除板(なみよけいた)が切れているのは、

海上より船で渡ってきて、船を着けるためといわれています。

 

宮島風景?

 

◆朝座屋(あさざや)<<国重要文化財>>

屋根は、東が切妻・西が入母屋造りで、三方に廂(ひさし)の間があり、

寝殿造りの対の屋の特徴が見ることができます。

 

昔は社家(しゃけ)・供僧(ぐそう)・内侍(ないし)が祭典・会合の折に

集まったところです。

 

朝座屋

 

◆内侍橋(ないしばし)<<国宝>>

厳島神社にお仕えする巫女を内侍(ないし)といいました。

昔はこの橋を内侍が渡って、神錧をお供えしていたので、

内侍橋と名付けられたと言われています。

御本殿拝殿への両側に1基づつあります。

 

内侍橋

 

◆高舞台(たかぶたい)<<国宝:平安時代>>

本社祓殿前にある、黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらし

前後に階段をつけた舞台で、平清盛が大阪・四天王寺から

移したという舞楽がここで演じられます。

舞楽の舞台としては最小のもの。

四天王寺の石舞台・住吉大社の石舞台と共に日本三舞台と

いわれています。

 

現在の舞台は天文15年(1546年)、棚守佐伯房顕(たなもりさえきふさあき)

によって作られたもので、当初は組立て式だったものが、江戸時代初期に現在

のような作り付け構造になったと考えられています。

 

高舞台

 

◆右楽房・左楽房(うがくぼう・さがくぼう)<<国宝>>

国宝で、舞楽のある時に楽を奏するところです。

舞楽は、平清盛によって四天王寺から約820年前に伝えられました。

左右ありますが、舞楽には二つの流れがあり、インド・唐から伝わった

ものを左の舞といい、左舞(さまい)を舞うときは左楽房で奏します。

満州・朝鮮半島から伝わったものを右の舞といい、右舞(うまい)を舞う

ときは、右楽房で奏します。

 

◆右門客神社(みぎまろうど)・左門客神社(ひだりまろうど)<<国宝>>

火焼前(ひたさき)をはさんで左右にあり、ご祭神は豊石窓神(とよいわまどのかみ)

・櫛石窓神(くしいわまどのかみ)で、この境内をお守りする神様として祀られています。

 

厳島神社 右門客神社 左門客神社

 

◆平舞台(ひらぶたい)<<国宝:平安時代>>

寝殿造りの庭にあたる部分で広さは、167.6坪(約553?)。

安元2年(1176年)、平氏一門が社参して千僧供養が行われた際、社殿の前方

に仮廊を設けたという記録があり、こうした仮廊が常設となったものといわれます。

前方には火焼前(ひたさき)と呼ばれる突き出た箇所があり、管絃祭の出卸・還卸は、

ここから行われます。

 

また他の社殿の束柱は木造ですが、この平舞台を支えるのは、毛利元就によって

寄進されたと伝えられる赤間ヶ石の柱。火焼前分と合わせると239本あります。

 

平舞台

 

いかがでしたでしょうか?厳島神社の魅力をお伝えしました(^-^)

 

これからも宮島観光アドバイザーのブログをよろしくお願い致します♪

 

今日も皆様にとって幸せな一日でありますように!

ともちんでした。

 

シェアしてくれたらぶち嬉しいけ!

書いている人

宮島観光アドバイザー
トモチン(武内智弘)

1981年広島県宮島生まれ宮島育ち。錦水館の六代目。宮島にある創業1902年の温泉旅館「錦水館」と「ホテル宮島別荘」の2つの宿を運営しています。宮島観光が今よりも楽しくなるような情報をBlogでお届けします!