こんにちは!
宮島観光アドバイザーのともちんです。
今日は、一段と寒さが厳しいなと思ったら、
広島県北は、初雪です。(寒)
私は以前、県北の会社で勤務していましたが、
一番積雪した時で足のすねより上まで積もる程です。
そのおかげで冬はスノボーの趣味ができました!
広島県はそういった意味で春夏秋冬で楽しみが色々ありますね♪
さてさて、2日間風邪でダウンしてしまいましてブログが途切れて
しまいましたが、今日から再開です。
今日ご案内するスポットは、あの大河ドラマでも話題になりました。
平清盛(たいらのきよもり)の宮島ゆかりの地を巡る観光ルートを
ご案内致します。
まずは、平清盛は何を成し遂げたのか?
ここで歴史について少しふれます。
まず平清盛が残した功績は、
貴族が中心だった当時の政治の政権を奪還し、
武士中心の政治にを確率したことが清盛の功績としては有名です。
また宮島との深いつながりは、下記の通りです。
1146年に29歳で安芸守に任ぜられた清盛は、瀬戸内海の制海権を
手にすることで莫大な利益をあげる一方、信仰の面でも厳島神社を
深く信仰していました。
厳島神社の創建は今から約1400年前佐伯鞍職にとよると伝えられるが、
現在の寝殿造りの姿に造営したのは清盛なのであった。
これは『平家物語』によると、夢枕で、
「厳島の宮を造営すれば、必ずや位階を極めるであろう」とのお告げを
聞いたためだと言われている、などなど、宮島との関係性も深いです。
宮島には、平清盛の歴史に深く関係がある場所が島内各所にございます。
この機会に是非、平清盛の歴史を感じる旅に出かけてみてはいかがでしょうか?
【平清盛ゆかりの地 ?】
二位殿燈籠(にいどのとうろう)
平清盛の妻、平時子は清盛没後出家して二位の尼と呼ばれていました。
1185年 壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡した時、孫にあたる幼き安徳天皇
を抱いて海に身投げした悲しい出来事がありました。
その亡がらが宮島に流れ着いたといわれ、有の浦に燈籠が建てられました。
その亡がらをとむらうために創建された寺が神泉寺ですが、
明治維新後この寺は廃寺となり、祀られてあった尼の木像は光明院に
移されました。現在、神泉寺跡の石碑にその面影を見ることができます。
【平清盛ゆかりの地 ?】
経の尾(きょうのお)清盛塚
宮島歴史民俗資料館から水族館に向かう道の小高い丘の上に
清盛塚という石塔が建っています。
清盛が小石に一字ずつ手間をかけて法華経を書いた
「一字一石経」を納めたといわれる場所です。
ここから見える大鳥居の美しさは清盛が愛した
宮島を体感できる隠れたビュースポットです。
http://www.youtube.com/watch?v=m_1uG7Pyo6o
【平清盛ゆかりの地 ?】
清盛神社(きよもりじんじゃ)
宮島の恩人である清盛の遺徳を称え、
清盛没後770年にあたる1954年、
三翁神社(さんのうじんじゃ)から分祀して
清盛を祀る清盛神社が創建されました。
清盛の命日である3月20日には、その霊を慰める
清盛神社祭が開かれます。また、平家一門の
厳島神社参拝行列を再現した「宮島清盛まつり」も
命日近くに開催されます。
清盛神社近くから朱の大鳥居を望むことができます。
http://www.youtube.com/watch?v=ufuoR73RyAQ
このルートを観光すると、きっと清盛が生きた平安の世を肌で
感じることでしょう!
それではまた、ともちんでした。