こんにちは!
宮島観光アドバイザーのともちんです。
早いもので、昨年の10月からブログの更新を続けて、
今回の投稿で100記事目となります♪
本当に、いつもご覧頂いている方々へ
感謝の気持ちでいっぱいです。
最初は、書くネタはあるのか?続くのか?
不安もありましたが、宮島島内を自ら観光して新たに
宮島の魅力を再発見した事や、色々なお店に行ったりと、
自分が体験した事をブログに投稿していきました。
またある時は、お客様の声を参考に、観光の不安な点や、
行ってみたい観光スポットの情報を編集したりと、
記事のネタは気づけば、色々と転がっているんだなと思いました。
やはり一番は、宮島の魅力や観光の情報を配信する事で、
宮島ってこんなに魅力があったんだ!宮島に行きたい!
観光の悩みが解消できた!とブログを通じて、
思い出づくりのサポートが出来たら、嬉しいです。
とういう事で、今回は宮島の一番の魅力「厳島神社」の
魅力をブログでお伝え致します。
毎年400万人以上のお客様が宮島にお越しになられる中、
約200万人以上のお客様は、厳島神社を観光していると
統計が出ています♪
海に浮かぶ美しい朱の社殿は、とても美しく神秘的です。
是非、宮島の観光には外せない厳島神社の観光を、
お楽しみ下さいませ。
<厳島神社見取り図>
厳島神社の魅力が伝わるYouTube動画はこちらをご参考下さい!
仲良し二人の宮島女子旅 まなみ&なみかの巻
http://www.youtube.com/watch?v=D7KDJhFWsjM
◆廻廊(かいろう)<<国宝>>
厳島神社の廻廊(かいろう)は、東側廻廊は47間(約122m)、入口は、切妻造り、
屋根は、檜皮葺(ひわだぶぎ)で、棟には棟瓦が載せてあります。
西廻廊は、61間(約154m)あり、西の端(出口)は、唐破風造り(かわはふづくり)
になっています。昔は、西側が入口であったことがうかがえます。
床板は、1間に8枚敷いてあり、釘は使っていません。
床板との間に隙間があり、高潮の時に下から押しあがってくる海水の圧力を弱める
役割を果たしています。
また床は二枚重になっていて、本来の床板は下にあるほうで、上に敷いてあるのは
養生板(ようじょういた)といい、参拝者が土足で歩いても良いようになっています。
昔はクツの下にわらじを履いて昇殿していました。
廻廊の釘灯籠は、毛利氏が鋳鉄製(ちゅうてつせい)のものを寄進したのが
始まりといわれています。
現在のものは、大正時代に奉納されたもので青銅製です。
◆客神社(まろうどじんじゃ)<<国宝:平安時代>>
御本社と同様に、本殿・幣殿・祓殿からなり、厳島神社の祭典は、
この客神社から始まります。
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・活津彦根命(いくつひこねのみこと)
天穂日命(あめのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)
熊野樟日命(くまのくすびのみこと)の5柱の男神が祀られています。
摂社の中でも一番大きく、厳島神社の祭事のおりには、一番先に神職が
お参りいたします。天忍穂耳命は、天照大神様の長子で、農業の神様です。
天穂日命は、天照大神様のお子様で、農業の神様です。
天津彦根命は、日の神・雨の神・風の神・火難除けの神様として崇敬されて
います。
祓殿(はらいでん)正面の海側の波除板(なみよけいた)が切れているのは、
海上より船で渡ってきて、船を着けるためといわれています。
◆朝座屋(あさざや)<<国重要文化財>>
屋根は、東が切妻・西が入母屋造りで、三方に廂(ひさし)の間があり、
寝殿造りの対の屋の特徴が見ることができます。
昔は社家(しゃけ)・供僧(ぐそう)・内侍(ないし)が祭典・会合の折に
集まったところです。
◆内侍橋(ないしばし)<<国宝>>
厳島神社にお仕えする巫女を内侍(ないし)といいました。
昔はこの橋を内侍が渡って、神錧をお供えしていたので、
内侍橋と名付けられたと言われています。
御本殿拝殿への両側に1基づつあります。
◆高舞台(たかぶたい)<<国宝:平安時代>>
本社祓殿前にある、黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらし
前後に階段をつけた舞台で、平清盛が大阪・四天王寺から
移したという舞楽がここで演じられます。
舞楽の舞台としては最小のもの。
四天王寺の石舞台・住吉大社の石舞台と共に日本三舞台と
いわれています。
現在の舞台は天文15年(1546年)、棚守佐伯房顕(たなもりさえきふさあき)
によって作られたもので、当初は組立て式だったものが、江戸時代初期に現在
のような作り付け構造になったと考えられています。
◆右楽房・左楽房(うがくぼう・さがくぼう)<<国宝>>
国宝で、舞楽のある時に楽を奏するところです。
舞楽は、平清盛によって四天王寺から約820年前に伝えられました。
左右ありますが、舞楽には二つの流れがあり、インド・唐から伝わった
ものを左の舞といい、左舞(さまい)を舞うときは左楽房で奏します。
満州・朝鮮半島から伝わったものを右の舞といい、右舞(うまい)を舞う
ときは、右楽房で奏します。
◆右門客神社(みぎまろうど)・左門客神社(ひだりまろうど)<<国宝>>
火焼前(ひたさき)をはさんで左右にあり、ご祭神は豊石窓神(とよいわまどのかみ)
・櫛石窓神(くしいわまどのかみ)で、この境内をお守りする神様として祀られています。
◆平舞台(ひらぶたい)<<国宝:平安時代>>
寝殿造りの庭にあたる部分で広さは、167.6坪(約553?)。
安元2年(1176年)、平氏一門が社参して千僧供養が行われた際、社殿の前方
に仮廊を設けたという記録があり、こうした仮廊が常設となったものといわれます。
前方には火焼前(ひたさき)と呼ばれる突き出た箇所があり、管絃祭の出卸・還卸は、
ここから行われます。
また他の社殿の束柱は木造ですが、この平舞台を支えるのは、毛利元就によって
寄進されたと伝えられる赤間ヶ石の柱。火焼前分と合わせると239本あります。
いかがでしたでしょうか?厳島神社の魅力をお伝えしました(^-^)
これからも宮島観光アドバイザーのブログをよろしくお願い致します♪
今日も皆様にとって幸せな一日でありますように!
ともちんでした。