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コレを知ると宮島通!千畳閣(豊国神社)の隠れた魅力。

更新日 2016.04.13
目次

こんにちは、錦水館の若旦那 武内こと、宮島観光アドバイザーのともちんです。

今日のブログは、コレを知ると宮島通!千畳閣(豊国神社)の隠れた魅力について書いています。宮島は、嚴島神社が有名ですが、その他にも魅力ある観光スポットは沢山あります。そのひとつが千畳閣。あなたの宮島観光の楽しみの発見のお手伝いができれば嬉しいです。

千畳閣(豊国神社)の隠れた魅力とは・・・

1598年、豊臣秀吉安国寺恵瓊(あんこくじえけい)に武士の鎮魂のために供養堂の建設を命じました。それが千畳閣、別名(豊国神社)です。なぜ千畳閣と呼ばれるかと言うと、なんと畳が857枚ほど敷ける程の広さがあるからです。

千畳閣 (7)

秀吉の死後は、未完のままで現在に至ります。千畳閣の瓦を見ると「王」の文字が刻まれています。王という文字の意味は、秀吉自身を神と見立てて、絶対的な権力をアピールするために、王という文字を使ったという説があります。千畳閣が嚴島神社を見下ろす場所に建てたのも、もしかしたら、そういう意図があるのかもしれません。

千畳閣 (4)

千畳閣の中に入ると分かるのですが、神社側の真ん中の部分が開口されていて、実はここに階段を作り、嚴島神社と繋ごうとしていたとも、言われています。当時、もし秀吉が生きていて、この千畳閣を完成させたら、さぞ豪華な建物になったのではないかと思います。

千畳閣 (2)

どうやって、千畳閣は建てられたのか・・・

これだけの広さがあるので、当時は人力で資材を運んでいました。1個数トンもある基礎石と柱を運ぶのは、とても大変だったと思います。当時、安国寺恵瓊に秀吉が千畳閣を建設するために与えたお金は、米一万石と言われており、時価に換算すると約7憶7千万円!!ビックリする金額ですね。

千畳閣を建てる大工が愛した太閤力餅

当時は、難工事だったが、大工が小休憩におやつとして出されていたのが小餅です!当時の食文化や食生活を考えると、黄な粉をまぶした小餅が過酷な力仕事の栄養源となる食べ物だったそうです。その小餅を口にする度に、太閤力餅と呼び、秀吉に感謝を表していたと言われています。

そして、今もその味を受け継いでいるお店が千畳閣の近くにあります。それが塔之岡茶屋の力餅

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黄な粉をまぶしたお餅の上に砂糖があり、絡めて食べると、ちょうど良い甘さと弾力のあるお餅がクセになる味。ここには他にもお餅を使った力うどんなどもあります。昔の大工さんが食べたであろう味を楽しめるのもこの茶屋の魅力です。是非、千畳閣の観光の後にお立ち寄り下さい。塔之岡茶屋は、千畳閣のすぐ近くにあります。

いかがでしたでしょうか?

千畳閣には、沢山の魅力があります。ボクはよく休憩で訪れるのですが、とても眺めがよく、気持ちがスッキリする感じです。より多くの人に、訪れたいスポットのひとつです。是非、今回のブログが、あなたの宮島観光の楽しみになれば嬉しいです。それでは、また別のブログで!ともちんでした。


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書いている人

ホテル宮島別荘の若旦那
武内智弘(ともちん)

1981年広島県宮島生まれ宮島育ち。大学を卒業後、神楽門前湯治村で修行を積み、故郷宮島へ戻り、家業である宮島にある大正から続く100年宿『錦水館』の跡継ぎとして同旅館と、錦水館の経営する『ホテル宮島別荘』の代表を務める。宮島の魅力を伝えるため、宮島での思い出づくりをサポートすべく日々奔走中。