こんばんは!若旦那 武内こと宮島観光アドバイザーのともちんです。
今回のブログでは、 今さら?!って思うかもしれませんが、宮島と深い繋がりがある『平清盛』のゆかりの地を”まとめ”た紹介を書いています。通常の観光では中々行く事ができない場所から歴史好きなあなたにオススメのスポットを取り上げておりますので、是非宮島観光を楽しんでもらえたらと思います。
あの歴史の舞台を巡る!毛利元就&平清盛ゆかりスポット
◆厳島合戦の舞台 宮尾城跡◆
1555年(弘治元年)5月、毛利元就は陶晴陶晴腎を討つために、厳島に戦場を求めここに城を築き拠点とし、島の町衆を味方に引き入れ、陶軍の広島湾進出を阻止しようと軍備を整えた。この城は数個の分かれた山城であるが、海上に突き出し、味方の水軍と連絡できる水軍城の特色も併せ持っていた。同年9月、晴賢は2万余の大群を率い厳島に上陸し、五重塔がある、塔の岡付近に本陣を置いてこの城を攻撃したが、300余の城兵はよく守り持ちこたえた。元就は主力の軍を率い、包ヶ浦から上陸して、山を越え背後から陶軍の本陣を急襲し、この城兵も主力軍に呼応して陶軍を壊滅させた。
厳島合戦の拠点にもなった有名な場所をご案内。ちょうど山辺の古径(こみち)のルートにもなっています。現在は、城があった場所にベンチがあり、そこからは、宮島の町家の景色と大鳥居や五重塔、千畳閣を見渡せるビュースポットとしても有名です。また桜の名所として、お花見の時期は沢山のお客様が訪れますよ♪
◆二位殿燈籠(にいどのとうろう)◆
平清盛の妻、平時子は清盛没後出家して二位の尼と呼ばれていました。1185年 壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡した時、孫にあたる幼き安徳天皇を抱いて海に身投げした悲しい出来事がありました。その亡がらが宮島に流れ着いたといわれ、有の浦に燈籠が建てられました。その亡がらをとむらうために創建された寺が神泉寺ですが、明治維新後この寺は廃寺となり、祀られてあった尼の木像は光明院に移されました。現在、神泉寺跡の石碑にその面影を見ることができます。
二位殿燈籠は、ここにあるのって気づかれないスポットですので、一番下の地図を参考にして下さいね♪神泉跡にあった石碑は光明院に移されたとされています。宮島の高台にある光明院のすぐ近くには宮島の恩人と言われる『誓真』さんを讃えた石碑『誓真大徳頌徳碑』があります。そこからの景色は、町屋の景色も見れて綺麗です。
◆経の尾(きょうのお)清盛塚◆
宮島歴史民俗資料館から水族館に向かう道の小高い丘の上に清盛塚という石塔が建っています。清盛が小石に一字ずつ手間をかけて法華経を書いた
「一字一石経」を納めたといわれる場所です。ここから見える大鳥居の美しさは清盛が愛した宮島を体感できる隠れたビュースポットです。
経の尾(きょうのお)清盛塚は、急斜面の階段を上りますので、お年寄りの方や小さいお子様連れの方にはあまりオススメしませんが、隠れたスポットにありますのでレア度は高い観光スポットです。
◆清盛神社(きよもりじんじゃ)◆
宮島の恩人である清盛の遺徳を称え、清盛没後770年にあたる1954年、三翁神社(さんのうじんじゃ)から分祀して清盛を祀る清盛神社が創建されました。清盛の命日である3月20日には、その霊を慰める清盛神社祭が開かれます。また、平家一門の厳島神社参拝行列を再現した「宮島清盛まつり」も命日近くに開催されます。清盛神社近くから朱の大鳥居を望むことができます。
清盛神社から見る大鳥居は、実は知られてないけど、とても綺麗ですよ。五重塔や千畳閣なども見れるのでのんびり、風景を見たりするのにオススメです。是非観光の際は、訪れて風景をお楽しみ下さいね♪
宮島の厳島神社のご観光以外にも、こういった観光スポットも魅力満載です♪歴史が好きな方は、通常の観光の他にお楽しみ頂けたらと思います。それでは今日のブログを終わりますね(^^)明日も幸せな一日をお過ごし下さい。