錦水館の若旦那武内こと宮島観光アドバイザーのともちんです。
今日のBlogは、「あなたは何問解ける?宮島クイズ・パート2」という事で、宮島についての問題を発信しています。普段、お客様の何気ない会話の中で、「へぇ?お客様はこんな?があるんだ・・・」という内容を問題にしてみました。
嚴島神社を創建したのは、推古天皇元年(593年)有力豪族の佐伯内鞍職が社殿造営の名を受け、勅許を得て御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したことに始まると言われています。”イツクシマ”という社名も”イチキシマ”が転じてと言われています。
千畳閣の広さは、857枚分の畳を敷ける程の広さがあると言われています。千畳閣は別名:豊国神社。豊臣秀吉が武士の鎮魂のために建てたと言われており、秀吉の死後、今だ未完のままです。夏は吹き抜ける風が気持ちがよく、オススメの場所です。
宮島の杓子(しゃもじ)を広めたのは、宮島の恩人と呼ばれた誠真さんです。誓真さんは、天明のころ飲料水の不足に苦しむ島民のために島内に10カ所井戸を掘りました。それらが今日、誓真釣井(せいしんつるい)と呼ばれています。誓真さんは、多数の参拝客が訪れる宮島にこれといった土産物がないことに気付き、夢に出てきた弁財天様の琵琶にヒントを得た飯杓子を思いつきました。手先が器用だった誓真は自ら、杓子の作成技術を島民に教え普及に努めました。
宮島の鹿さんは現在約500頭、宮島島内に生息しています。鹿さんは野生動物なので、エサを与えないようになっています。宮島桟橋前の広場や、山で生活しています。
?参照 http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/12_2.html
宮島の名物「もみじまんじゅう」の名前の由来に大きな影響を与えた、日本の内閣総理大臣は初代総理大臣 伊藤博文です。明治の元勲、伊藤博文はたびたび宮島にある紅葉の美しい紅葉谷を訪問していました。ある日、伊藤博文は紅葉谷の入り口にある茶店に立ち寄り、お茶を差し出した可愛い娘の手を見て、「この紅葉のような可愛い手を食べてしまいたい」と冗談を言ったそうです。そんな伊藤博文が、紅葉谷に訪れる際に泊まっていた宿が紅葉谷の入り口にある老舗旅館の「岩惣」。岩惣に和菓子を納品していた、和菓子職人の 高津常助は、伊藤博文の冗談話を耳にしていた「岩惣」の仲居 おまん からの助言もあってもみじの葉を模った饅頭の製造に取組み始めます。
宮島の大鳥居のライトアップは、日没から23時まで。イベントがある以外、毎日ライトアップされています。
?参照 http://blog.goo.ne.jp/yoshi0749/e/d6d7445d146e29adcffe8ebfc6ae8d9a
外はサクサク!中はホクホク!もみじまんじゅうを自家製の衣につけて揚げる「揚げもみじ」が女性を中心に人気です。宮島では紅葉堂弐番屋・紅葉堂でしか食べることができません。是非、新感覚のスイーツを宮島観光の際に、お召し上がり下さい。
弥山なんと読む?答えは、”みせん”です。実は、読み方が分からないお客様も多いです。宮島の最高峰標高約535メートルの霊山”弥山”1,200年もの昔、弥山は弘法大師空海(こうぼうたいしくうかい)により開基されました。弘法大師は100日間の求聞持(ぐもんじ)の修法を行いました。その際、弘法大師が修行を行ったと云われる弥山本堂や1,200年以上経った今も燃え続けている きえずの火など、数多くの足跡や伝説を残しています。
答えは、遍照窟。大聖院の大師堂の地下にあり、四国八十八カ所の本尊が安置されています。本尊前には各四国八十八ヶ所霊場の砂が埋めてあり、お砂踏みをすると四国霊場巡りと同じだけのご利益があると言われます。
宮島桟橋から町屋通りを歩いていくと長い石階段が見えてきます。階段は急で上がるのは大変ですが、良い運動になります!階段は、なんと!100段。宮島にお越しの際には、是非、チャレンジしてはどうでしょうか?